自分で運ぶか運ばないかは選べる

みなさま、こんにちは。
いかがお過ごしですか?


私、先日、びっくりする出来事に遭遇しました。


ある女性社員がですね、小さな段ボール箱を、男性社員に運んでもらってたの!!


その女性社員は華奢なひとなんですけど、それでもその小さな段ボール箱は、普通に運べそうな感じ。


な・の・に。
わざわざ、男性社員を呼んできて、運んでもらってたんです!!


私は一瞬、何が起こったか分からなかった・・・!


しばらくして理解したのち、「す、すげー!!」と思いました。


「こ、これが女子力なのか!
 助けさせてあげるってやつか!」


いや、もしかしてその女性社員は、腰を痛めてて慎重になってるとか何か事情があるのかもしれないがしかし、私は感動したのです。



振り返ってみれば私、つい自分でやってしまいがちです。


コピー用紙が無くなれば、後輩くんに頼まずに、自分で倉庫に取りに行きます。


で、A4コピー用紙1箱、担いで帰ってくるわ。


あ、担ぐのは、階段降りるときに足元を見えるようにしたいのと、手すりを掴めるようにしておきたいという安全上の理由からですよ?
(なんの言い訳)


まあつまり、コピー用紙の箱を担いでくる自分は嫌いではない。


むしろ、少し重たい箱を運ぶスリルをちょっと楽しいとか、運んでる自分カッコよくね?とか思ってたりするくらいだ。


なので、小さな段ボール箱を運んでもらうという発想は私にはなかったのですが。


場合によっては「お願いする」と言う選択肢もあるのだな!


という例を見せてもらっちゃいました。


重たいものでも運べるなら自分で運びたい私と、誰かに運んでもらいたい女性社員、どっちもありだもの。


あと、同じ出来事を見て、もしも腹が立つようなら、「私ちょっと頑張りすぎ」のサインなんだろうなとも思いました。


腹が立つってことは、
やりたくないことを無理してやってたり、それに気づかないふりをしてたり、疲れてたり、甘えたいのに我慢してるってことだったりしません?


つまり、コピー用紙運ぶのが楽しい時は自分でやっちゃうけど、めんどくさいときは誰かに頼んでもいいってことです。


選べるってことです。


選べる、って意識できているときは、自由があるのだろうと思います。


私は私だものね。


ということで、日常で発見があるとお得な気持ちになる、めぐでした。








ん?コピー用紙1箱って10キロくらいかな??
2歳の子どもの体重くらいだと思ったら、そこまで重くない気がしてきたな・・・。