「何があるか分からないんだから、希望は持とうよ」

みなさまこんにちは。
めぐです。


先月植えたイチゴの苗、お買い得トリオは無事根付いたようで、緑の葉っぱを揺らしております。


ワイルドベリーのほうは順番に花なんか咲かせちゃったりしてます。
強いな。
今、冬よ?



※うちの猫の病気のことがでてきます。
 苦手な方は、ここで閉じてくださいませ~※

呼んだかにゃ?
ま、ぼかぁ、実際は「にゃー」なんて鳴かないですけどね




















「何があるか分からないんだから、希望は持とうよ」


先日、うちの猫の病気がわかったとき、夫が言ったセリフです。


聞いたときは、ちょっとイラっとして、内心「は? なに気楽なこと言ってんの」と思いました。
だって、私は最悪の事態を想定して覚悟をしようとしていたので。


でも、夫だって何も考えずに言っているわけじゃないよな?と思い、自分の中で整理してみることにしたのです。
えらいぞ私。


まず、私は常に最悪の事態を想定する女。


例えば、こんな具合です。


小さい子が親と手をつながずに道路脇を歩いていると、車道に飛び出してはねられるのではと思い、手が届く場所だったらその子のどこを掴んだら止められるか考える。


川岸の端に人がいると、滑り落ちて溺れてしまうのではと思い、しばらく見守ってしまう。もしもの時は通報しつつ救助できそうな道具がないかなど手順を考える。


・・・我ながらお疲れさまです、という感じですね。
心構えをしておくことで、いざという時になにかできるかもしれないと思っているのです。たぶん。


まあ実際には心配していたことが起こることはなく、杞憂に終わるのですが・・・。


この癖をやめたいと思ったこともありますが、同じような方が一定数いらっしゃるようなので、今は「我々は人類の危機管理担当班なのだ」と思うことにしています(笑)
その割に計画立てたり実行するのが苦手なの、ふっしぎ~


それくらい日常的に最悪の事態を想定する私なので、猫の病気を知った時も、闘病生活と最短の寿命と別れの瞬間とその後の日々までいっております。


そりゃ悲愴感漂うわ。


もちろん、夫も楽観できない状況は理解しているのです。


そして、夫の両親は、それぞれ数年前に他界しています。
闘病生活を支える、看取るという経験をしてきた夫が、「希望は持とうよ」と言っている・・・。
ふむ。


夫の気持ちを正確に理解する、読み取るなんてことはできませんが
「起こってもいないことに思い悩んだりしないで、だからといって過剰に期待しないで、心配や不安よりも明るい気持ちで過ごすことが大切だ」ということかな?と私は思いました。


そしたら、少し力が抜けたような気がしたんですね。
悲愴な覚悟だけでこの先過ごさなくてもいいんだ、と。


夫婦で向き合う姿勢は違っても、それでいいんだよな。とも思いました。
ついでに、「あ、だからこの人は私の夫なのか」と結婚22年にして思ったりもしました。




うちの猫は12歳半。
人間でいうと66歳くらいでしょうか。


なんとなく、ゆっくり年老いてお別れかと思っていましたが、ちょっと早くなるかもしれないという覚悟は持ちつつも。


これまでどおり、可愛い可愛いとほめそやして、撫でて寄り添って、できるだけ穏やかな日々をともに過ごしていきたいと思います。




読んでくださって、ありがとうございました。



めぐ




追伸:
何の病気か気になっちゃう!という方へ。
「リンパ腫」という診断です。
現時点では、悪性度は低いかもしれないとは言われています。


追記:
2023年1月現在、薬で病状は落ち着いており、元気に過ごしています。