こんばんは、カウンセラー宮碕めぐみです。
私はしばらく、長い間、行先が見えない感じで迷走していました。
それがなぜだったのか。
腑に落ちることがあったので、思いつくがまま書いてみています。
*
底が抜けるような不安。焦り。怖れ。
ギリギリで踏みとどまっているけど、もうダメかも。
見ないようにしていたけど、限界がくる。
やるべきことをしなかったツケが、
自分自身の愚かさと無能さが、露呈する。
やばいやばいやばい、けどどうしよう。
私、気がつくとこの状態に嵌まってしまうのです。
最近も、ちらちらとそんな感じがしてました。
何なんだろうなぁ、と思っていました。
私のパターンなんだろうけど、どうしてなんだろうなぁ。
で、ふと気づきました。
これって、中学生の頃の、私の感情かな。
見ないようにしていた感情かな。
ここ数ヶ月、やたらとあの頃の自分を思い出すしな。
といったんはそれで納得しかけたんですが。
違うぞ?と。
あの頃は先が見えない、どうなるか分からないなぁ、という不安はあったけど、焦りとかは無かったよなと。
世間を知らない子どもで、だからこその「なんとかなるだろう」という図太さがあったんだ。
ということは、これは、父の感情だ。
あの頃追い詰められていたのは、父だ。
ああ、そうか。そういうことか。
私はずいぶん長いこと、気がつかずに、この感情を引き受けていたんだな。
とんだファザコンですね。
なんてこった。
もう、ケリをつけたと思ってたんだけどなあ。
そうか。
そうなのか。
理解しがたいから理解したいと、たぶん思っていたんでしょう。
私が素直に父を好きだと思っていたのはたぶん3歳頃で、仕事から帰ってきた父を玄関に出迎えにいくときの一瞬の記憶。
走って、行ってた。
遠い遠い過去です。
父の不安と怖れと焦りを、私の人生でリピートして、追体験してきたのでしょう。
なんだそうか。
そうだったのか。
私を覆いつくしていた、ぼんやりとした影。
奥底にいる私を見えにくくする、澱のようなもの。
正体がわかれば、怖くないのです。
もう、十分です。
これ以上は、もういい。
義理堅いな私。
きっと父を嫌っていたことへの罪悪感が、そうさせていたんだろうけど、もういいのです。
十分でしょう。
私は十分、背負ってきたでしょう。
ここまで、長い長い年月で。
偉いな私。
だからもういいでしょう。
この、ひたひたと迫りくる冷たさは、お父さん、あなたが感じていたものでしょう。
私は強いから、何度もギリギリで逃げのびて、ここまできました。
潰れずに、きました。
もう十分でしょう。
私が私を追い詰めるのは、ばかみたいでしょう。
*
ということで、手放しまーす!とお風呂でいつもどおり身体を洗って、ミルク塩をがっつり一握り首の後ろに塗って、肩から背中から撫でまわし。
光が次から次へと降ってきて、体中に満ちて、要らないものが出ていくイメージワークをし。
ざっぱーん!と景気よくお湯をかぶって。
ふー、軽くなったぜ!
というのが現在地です。
これまでぼんやりとしていたものが、これでクリアになるはずだぜ、いえーい!
曇ったらまたミルク塩塗って光のイメージワークをするんだ。
かんたんかんたん。
(ミルク塩、ほんのり甘い匂いがしてお肌もつるつる)
なんかあれだね、正しくつなげると消えるゲームみたいだなと思いました。
正解!て。
面白いよね。
*
そんな感じで、気づきと手放しをしたという話でした。
お風呂上りに、タカタカとキーボード打って。
順番とか読みやすさとか流れとか、考えずに、忘備録的な感じですけども。
たまにはいいかな、と思って記事にしています。
読んでくださって、ありがとう。
カウンセラー宮碕めぐみ