私が迷走していた理由と手放しの話

こんばんは、カウンセラー宮碕めぐみです。


私はしばらく、長い間、行先が見えない感じで迷走していました。


それがなぜだったのか。
腑に落ちることがあったので、思いつくがまま書いてみています。



底が抜けるような不安。焦り。怖れ。


ギリギリで踏みとどまっているけど、もうダメかも。
見ないようにしていたけど、限界がくる。
やるべきことをしなかったツケが、
自分自身の愚かさと無能さが、露呈する。
やばいやばいやばい、けどどうしよう。


私、気がつくとこの状態に嵌まってしまうのです。
最近も、ちらちらとそんな感じがしてました。


何なんだろうなぁ、と思っていました。
私のパターンなんだろうけど、どうしてなんだろうなぁ。


で、ふと気づきました。


これって、中学生の頃の、私の感情かな。
見ないようにしていた感情かな。


ここ数ヶ月、やたらとあの頃の自分を思い出すしな。


といったんはそれで納得しかけたんですが。


違うぞ?と。


あの頃は先が見えない、どうなるか分からないなぁ、という不安はあったけど、焦りとかは無かったよなと。
世間を知らない子どもで、だからこその「なんとかなるだろう」という図太さがあったんだ。


ということは、これは、父の感情だ。
あの頃追い詰められていたのは、父だ。


ああ、そうか。そういうことか。


私はずいぶん長いこと、気がつかずに、この感情を引き受けていたんだな。


とんだファザコンですね。
なんてこった。


もう、ケリをつけたと思ってたんだけどなあ。


そうか。
そうなのか。


理解しがたいから理解したいと、たぶん思っていたんでしょう。


私が素直に父を好きだと思っていたのはたぶん3歳頃で、仕事から帰ってきた父を玄関に出迎えにいくときの一瞬の記憶。
走って、行ってた。


遠い遠い過去です。


父の不安と怖れと焦りを、私の人生でリピートして、追体験してきたのでしょう。


なんだそうか。
そうだったのか。


私を覆いつくしていた、ぼんやりとした影。
奥底にいる私を見えにくくする、澱のようなもの。


正体がわかれば、怖くないのです。


もう、十分です。
これ以上は、もういい。


義理堅いな私。
きっと父を嫌っていたことへの罪悪感が、そうさせていたんだろうけど、もういいのです。


十分でしょう。
私は十分、背負ってきたでしょう。


ここまで、長い長い年月で。


偉いな私。
だからもういいでしょう。


この、ひたひたと迫りくる冷たさは、お父さん、あなたが感じていたものでしょう。


私は強いから、何度もギリギリで逃げのびて、ここまできました。
潰れずに、きました。


もう十分でしょう。


私が私を追い詰めるのは、ばかみたいでしょう。



ということで、手放しまーす!とお風呂でいつもどおり身体を洗って、ミルク塩をがっつり一握り首の後ろに塗って、肩から背中から撫でまわし。


光が次から次へと降ってきて、体中に満ちて、要らないものが出ていくイメージワークをし。


ざっぱーん!と景気よくお湯をかぶって。


ふー、軽くなったぜ!


というのが現在地です。


これまでぼんやりとしていたものが、これでクリアになるはずだぜ、いえーい!


曇ったらまたミルク塩塗って光のイメージワークをするんだ。
かんたんかんたん。
(ミルク塩、ほんのり甘い匂いがしてお肌もつるつる)


なんかあれだね、正しくつなげると消えるゲームみたいだなと思いました。
正解!て。


面白いよね。



そんな感じで、気づきと手放しをしたという話でした。


お風呂上りに、タカタカとキーボード打って。
順番とか読みやすさとか流れとか、考えずに、忘備録的な感じですけども。


たまにはいいかな、と思って記事にしています。


読んでくださって、ありがとう。


カウンセラー宮碕めぐみ